記録2015年04月19日配信

ぶちまけ祭り(アニキ)、ネトスマ段位戦の創始から引退まで

2014年の十二月、一人の実況プレイヤーが引退を表明した。
そのプレイヤーの名は、ぶちまけ祭り(アニキ)。
突然の引退表明でした。

あまりに突然で、ただの冗談かと思う人もいた。
冗談であって欲しいと願う人達がいた。
でも冗談ではなく、本気のようでした。

ぶちまけ祭り(アニキ)による最後の配信にて、「段位戦の運営と配信を辞める」と語られた。
その言葉からは真摯さが感じられ、冗談ではないと理解し始めたリスナーは、「やめないでくれ」と書き込んだ。


「もうアニキの実況聞けないの?」
「アニキの実況で段位戦見始めたのに」


次々に送信される褒賞のコメント。
これ程多くのファンを抱え、リタイアを惜しまれるぶちまけ祭り(アニキ)とは何者か。

彼は『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』のプレイヤーであり、実況者でもある。

彼の実況は、何と表現すればいいんだろう……奇特なのです。

以下は、64スマブラの関東大会における、彼の実況です。
丈助のサムスが、異常な強さを発揮している場面です。

まだ全然ありますよ。
なんでお前の方が入力速い!
おかしい! なんでこうなる。
絶対におかしいです今のは! 皆さん警察を! 今の間違ってます。
あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛! 助けてぇ!
貴公子頼む、人類の尊厳を……宇宙人に勝ってくれ!
……危ないよぉ!?
ああっ! やめてあげて!
決まったぁぁぁぁぁ!! 丈助のアピールが出たぁ!!

もはや何をしているのか、関東大会は何の集まりなのか全くわかりません。
でも、何やら凄いことが目の前で起きているのは伝わってきます。
何を言っているかわからないけど、何が言いたいかはわかる。


素晴らしい実況をする人は往々にして、「画面を見ればわかること」を表現しません。
コンボが繋がった時に「コンボ入ったー!」ではなく。
必殺技がヒットした時に「○○が当たったー!」ではなく。
巧みな実況者は、画面を見ているだけじゃ読み取れない部分を、画面外の情報を伝えてくれる。


けれども、ぶちまけ祭り(アニキ)は規格外なのです。
彼は即興で物語を作り上げる才の持ち主です。
彼は段位戦や大会の実況で、よくプレイヤーの代弁を行います。


あとまが言っていました。
今日という日は与えられる。
明日という日は自分で掴むと!
だから今日という日を、プレゼントと、そう言っていましたあとま!
はいしにまーす。

丈助は言っていました。
お前ら、俺を憎め、と。
強すぎる俺を憎め、と。
そう言っていました丈助!
もちろん本人はそんなこと言ってません。

彼の実況は「画面をみればわかること」でもなく「画面外の情報」ですらなく、「その場で頭の中に作られたストーリー」が飛び出します。
だから楽しく、彼の実況には人気があります。

そんなぶちまけ祭り(アニキ)も最初は、ただの一人の動画投稿者だった。




2009年、一本のゲーム実況動画が投稿された。
「自重して64スマブラ実況」というタイトルで、内容はネトスマの対戦動画。
既にその動画からして面白かったけれども、再生数は1000回程度。
ぶちまけ祭り(アニキ)の喋りに人が付き始めたのは、彼が生放送を始め、放送タイトルに「全国4位のスマブラ放送」を銘打つ2010年頃からだ。


ぶちまけ祭り(アニキ)は、自分のコミュニティで喋りまくった。
2010年の夏、彼はひたすら喋り続けていた。
「雑談放送」と「ネトスマ放送」の枠を延々取り続ける。
放送内容は大体決まり切っていたけれど、リスナーは飽きなかった。


まったりしていながらも、ときたま変なことをやりだすからだ。
彼の話題はスマブラのみならず、彼の友人関係、彼の恋人関係、異性との付き合い方などにも及んだ。
その交友関係の広さ、交友経験の豊かさから、ぶちまけ祭り(アニキ)は正に兄貴のように慕われていた。



彼の配信は大学の部室のようです。
ぶちまけ祭り(アニキ)がいて、そこに彼の友人や妹が入ってきて、みんなで好き勝手にゲームしておしゃべり。
2010年の夏休み、リスナーから「もう一枠やれ」とお願いされればいくらでも放送を続けてくれるアニキの姿があった。

64スマブラやって、リスナーと雑談して、ネトスマやって、またしゃべる。

配信から聞こえてくるのは、スマブラの打撃音と、彼の声と、彼の家の外から入ってくるバイクや救急車の音。


彼の配信は気が付けば一つのコミュニティになっていた。
大学生が集う部室のような。
ゲームサークルみたいな。
配信コミュニティの参加人数は10000人を超えていた。




さて、彼の活動はここからが本番なのです。
彼は「ぶちまけ軍団」という団体に所属していた。
その団体の目的は「ネトスマ界を盛り上げる」である。
団体活動の一環なのかはわからないけども、彼はネトスマを盛り上げる企画を打って出た。


それが、『ネトスマ段位戦』である。


ストリートファイターIII 3rd STRIKEの段位戦をご存知だろうか?
1999年に稼働してから今もなおプレイされ続けている3rdの段位戦は、熱かった。
だから64スマブラも参考にした。
ネトスマ段位戦を企画した。
3rdの段位戦をアレンジした。
3rdの段位戦システムを借用した。
パクリとも言われた。

試合に勝ったら+1、負けたら-1、連勝して+3になったら昇格。
本格的なランクマッチが根付いてなかったネトスマにおいて、ネトスマ段位戦は画期的だった。


もちろん、ネトスマ段位戦の着工に乗り出したのは、ぶちまけ祭り(アニキ)だけではありません。

ウェブサイトを構築できる人は、ネトスマ段位戦のオフィシャルサイトを作り。
ネトスマの人脈が広い人は、Skypeやニコニコ生放送で、ネトスマ段位戦の宣伝に努め。
全国屈指の腕を持つ人は、初の段位戦に臨むべくKailleraサーバーで腕を磨き。
アニキが始め、アニキに続いた人達によって出来上がったネトスマ段位戦は、2010年10月23日に幕を開けた。


彼はそこから喋り続けた。
彼しかいなかったから。
みんなアニキの実況を聞きに来ていた。
アニキでない人が実況を担当すれば、「今日はアニキじゃないの?」「アニキが実況してよ」と言われる有様だった。

あまりのファンの多さに、ぶちまけ祭り(アニキ)にはアンチも付き始めていた。
アニキのファンは「キチリス」と称され、時にはアニキと一緒に忌み嫌われていた。


「アニキが喋ると変な弾幕が流れてウザい」
「アングラのネトスマを広めたらダメだろ……」
「段位戦なんか強さの参考にならない」


叩かれまくっていた。
ボロクソに言われていた。

彼を望む声が増えれば増えるほど、彼をよく思わない声も表出していた。
でもぶちまけ祭り(アニキ)は、ひたすら喋り続けた。
段位戦を開き続けた。
あんなに叩かれていたのに。
メンタルがとても強いのか、単に周りの評判を目にしていなかったのか。
わからないけれども、彼はとにかく実況し続けた。


そして動画を投稿した。
2010年11月22日にネトスマ段位戦の動画が、ニコニコ動画にアップロード。
動画の映像には、視聴者の度肝を抜く未知のスマブラが映し出されていた。
動画の音声には、何を言っているか聞き取りやすいが、時折何を言っているかわからない刺激的な実況が流れていた。


段位戦の動画は瞬く間に伸びていく。
再生数は200000回を超える。
コメント数は5000件を超える。
マイリスト数は1500件を超える。


2009年に投稿された一本の実況動画から一年。
ぶちまけ祭り(アニキ)の実況は外の目に触れられ、前の実況動画とは比べ物にならない数の視聴者に見られるようになった。



動画が一躍話題を集めてからも、彼は実況し続けた。
すると、ネトスマ段位戦の生放送は、徐々に風景が変わりつつあった。
動画の影響でネトスマ段位戦の存在を知った人達が、どんどん生放送に流入していったのだ。
どんどん人が入ってきて、どんどん膨れ上がっていった。
初段からスタートのネトスマ段位戦は、段位に六段を設けるまでに成長していた。


2010年の二段戦、最初の段位戦の来場者数は480人。
2012年10月27日、最高段位である六段の生放送には、17252人が来場。
人、人、人が溢れており、放送を視聴できない人が続出した。


ニコニコ生放送は席に限りがあります。
放送に人が入りきらないくらい、人が増えたのです。
段位者のスマブラがハイレベルだったから、というのは言うまでもありません。


でも彼だ。彼のおかげだ。
ぶちまけ祭り(アニキ)がここまで人を惹きつけたからだ。
どうしてここまで人を集められたんだろう。

プロゲーマー・ウメハラと、プロゲーマー・ときどが対談していた番組での話です。

「どうすれば格闘ゲームに人を増やせるか?」を二人は考えていた。
ときどは「良いプレイをして、真似してみたいと思わせるプレイを」と語る。
ウメハラは「面白い奴がいれば絶対その業界は活性化する。あとはどれだけ面白い奴を増やすか」と語る。


面白いプレイと、面白いキャラクター。
ぶちまけ祭り(アニキ)は、ウメハラとときどが重視するポイントを、両方とも押さえていた。

彼は喋りが上手い。
アニキはプレイも上手い。
彼が操るファルコンには、見る者を笑わせる楽しさがある。
だから彼には人が集まってくる。

ついに、ネトスマ段位戦を見に来るだけでなく、ネトスマをやりに来る人も出始めた。
ネトスマ用のIRCを周知するまでに人が増えていた。
ぶちまけ祭り(アニキ)の名は、64スマブラの実況プレイヤーとして知られていった。









それから数年後。
ぶちまけ祭り(アニキ)の声を聞く機会が、だんだん減っていった。
ネトスマ段位戦の配信から、ぶちまけ祭り(アニキ)の実況が少なくなっていた。
放送履歴の「放送主」の欄から、「ぶちまけ祭り(アニキ)」のユーザー名が表示されなくなっていた。


恐らく彼は忙しくなったんだろう。
でもそれだけじゃない。
2010年から五年後、ネトスマ段位戦の運営は36人にまで増加していた。
初めは数人しかいなかった運営が。


最近の放送履歴を見てみよう。


放送主:☆双月☆
放送主:しんずー
放送主:トモ
放送主:sekirei
放送主:みつや
放送主:せりり


昔は、初めは、「放送主:ぶちまけ祭り(アニキ)」ばかりだった。
配信から聞こえる声はあの賑やかな実況ばかりだった。
でも今は、彼一人に頼らずとも段位戦を開催できるまでに、成熟していた。


最後の放送で、彼はこう語っている。

段位戦の運営に関しては、ほぼほぼ私は三年間くらい何もやってない状況にあるし、運営メンバーも私の決定を特に待たずに色々決めてくれる人がたくさん揃った。その結果私ってのは別に、運営には必要ないなって思ったし、逆に自分の存在が邪魔だなという風に思ったんですね
彼が喋り続けた結果、彼が喋らなくてもやっていける環境になっていた。
ぶちまけ祭り(アニキ)が段位戦を創始してから五年、ぶちまけ祭り(アニキ)がいなくても段位戦は回るようになっていた。


そして彼は引退を表明した。
2014年12月31日(水)17時57分、ぶちまけ祭り(アニキ)、引退。













それから数ヶ月後……。
2015年03月21日の夜。






七段戦



普通に配信して復活してるじゃねぇか!!!!!

このエントリーをはてなブックマークに追加